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zoom RSS 20140518-20 南三陸の旅 エピローグ

<<   作成日時 : 2014/06/07 12:27  

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今の部署へ異動してから3年間、仕事を休んで旅行へ出たのは、今回が初めてでした。

東日本大震災以来、私の仕事の仕方は以前とは明らかに変わりました。
日常の中では忘れていることも多いのですが、ふとした時に
どうしても自分の感情の起伏が抑えられなくなり、泣いてしまうほどの想いを
抱えながら生活するようになりました。

私は、東京生まれの横浜育ち。両親は広島出身ですし
親戚はほとんどが関西方面ですから、東北に特に縁があるわけでも
思い入れがあるわけでもありませんでした。

ただ、今の会社に入社した時から、仙台・福島・盛岡の総局を担当させてもらい
生まれて初めての東北新幹線に乗って以来、折に触れて何度か
総局へ出張する機会をいただいたので、そこで働く記者さんや庶務の子たちと
次第に仲良くなり、電話やメールでいろんな話をしながら一緒に仕事をしてきました。

その中でも特に仙台総局には何度も行っていたので、
入り口の開け方まで知っているほどの勝手知ったる総局ではありました。
ちょうど震災直前の総選挙の時には、選挙取材の応援にも駆り出されて
午前2時まで、開票所取材担当として某体育館に張り付き
政権交代の瞬間は総局のテレビの前で、記者たちとお寿司とビールを囲みながら迎えました。

あの大地震が来るまでは、それでも、せいぜいそれくらいの思い入れしかなかったのです。

震災が起きた当日から、その後の前線本部運営の話は、先にこのブログに書いたのでここでは触れないことにしますが、
今回の旅のことを書くにあたってどうしても記録しておきたいエピソードがあります。

それは、震災当日の仙台総局でのできごとです。

大きな揺れを感じた時間は、金曜日の午後でしたから
当然、多くの記者は取材に出ていました。
当時の気仙沼支局長も、ちょうどその時は、気仙沼港にある市場の取材へ出ていました。
海にもっとも近い位置にいた彼は、津波が来ることを想定して、漁協の屋根に避難します。

そこでようやくつながった携帯電話から、仙台総局へ自分の無事を知らせ
その後の取材について指示を仰ごうとしていました。
ちょうどそのとき、避難していたその記者の足元を津波が襲ったのです。
通話中だった記者は「わぁ〜!」という声を最後に、その後半日以上、連絡が取れなくなりました。

当時の仙台総局長は、彼のことをずっと心配しながらも
東京本社との調整やら、ほかの記者たちの安否確認ほかの業務に忙殺されていたようです。

そして、心のどこかで、彼はもう無事ではないかもしれないと思い始めたころ
気仙沼支局長からの原稿が、新聞社の記事出稿システムへ送られてきたのでした。

「あのバカ!連絡する前に、記事を送ってきやがった!!」

総局長はそう一言叫んだきり、あとは涙で声が出ず、ずっと泣いていたと
私が仙台総局に入ってすぐに、ほかの記者から聞きました。

そして私の着任から3時間ほどしたころに、私のところへ総局長がやってきて
「ねぇ、気仙沼支局へ行きたいんだけど、しばらく外出していいかな?」と聞きました。

「もちろんです。気仙沼だけじゃなくて、沿岸の支局を全部見てきてください」と
私が言うと、総局長は少し涙目になって「ありがとう」と言いました。

その時のことを思い出すと、今でもどうしても、涙が出てきてしまいます。
(今こうして、書いていてもそうですが・・)

そういう想いを抱えながら、この3年と2か月を過ごしてきました。

南三陸の旅を私なりに書ききるには、長い時間が必要だと思います。
少しずつでいいから、記録しておきたい。
今はただ、それだけを考えているところです。


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